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久しぶりに投稿してみる。体験価値の差を埋めるデジタル化

こんにちは。つぼです。

最近忙しくて投稿できませんでしたが、やっぱりメモなり残せる場所がないと思考が消えていってしまうのでここに残していこうと思います。Twitterだと字数がうっとおしいし。

今までは読んでもらうことを前提にアウトプットとして書いていたのだけどそれだと俺自身負担になっちゃうところもあったのでただただ思ったことを書き連ねていこうと思います。

 

今日は子どもの貧困Ⅱという本を読んでいておもったこと。

子どもの貧困の連鎖の要因は数多くあってその中の1つが習い事等の体験、経験の不足らしい。一般的な家庭の子どもたちは放課後に習い事に行くのだけど、貧困家庭の子たちは家にいてゲームとかテレビを見ているだけだからそこで感受性や観察力など感覚面での差が出てしまうのだと。

でも、学童というものがあるではないかと思うかもしれないけど、学童は今は保育的な側面が強いらしい。あと、児童会館ともあるだろうなぁ。でも、やはり習い事感はなくて遊んで帰る(もちろんその体験も大事)感じ。

でも普段とは違う体験をすることは確かにその子の視野を広げたり感受性を高めたりするのにとても大事だろうと思っている。

ならば、児童館でも習い事感のあるものを行うのはどうだろう。

いや、やってるところもあるだろう。ここでの普通の習い事との違いはアマチュア感だと思う。やはり習うならその道のプロに習いたいもの。児童館の指導員の人たちにそこまでのレベルを求めるのも酷だし、とはいってもプロの人がボランティアでやってくれるかというとそんな聖人もそうそういないのではなかろうか。

つまり、習い事をプロのように行えるようなサービスがあればよいのではないかと考えた。やっぱり、そのためにはモノが必要な習い事は難しい・楽器とかプールとかは難しいと思う。でも、歌とか、サッカーとか自然体験とか必要なものが少ないものを選んで行うことはできそうだ。

何かしらのデバイスがあれば直接教える主体がいなくてもプロと同じようなレベルの教育が出来るよう習い事のパッケージ化をしたらこの体験不足からくる貧困の連鎖は断ち切れないのだろうか。

サイエンスコミュニケーションで振り返ってみると「考えるカラス」のようなもののイメージが強いのかもしれない。サイエンスコミュニケーターの方々とかがSCでなくてもほかの人々を楽しませられるようなものをパッケージ化して作れば科学にもっと興味を持つような人も増えるのではないかと思ったこの頃。

自然体験も自然というのはどこにいても結局身の回りにあるものだから、誰でも楽しめるはずなんだよなぁ。ただ、問題は自然と人とをつなぐ媒体がそこら辺にないだけで、それさえあればもっと自然を楽しむことはできるはずだと思っている。

自然体験なり、科学体験なり、ほかの習い事なりものによって、やり方によっては体験格差を埋めて、子どもたちの思考力や感受性を高めることが出来るのではないかという話でした。

ちなみに私はとりあえず自然体験を人を媒介せずとも楽しめるようなアプリケーションなりサービスを作りたい。と思っているけどそれに取り組めるのは、来年度以降かな。来年度以降どうなるのかもわからんし(笑)

 

あ、ちなみにサイエンスコミュニケーションのパッケージ化を目指して作った「エネルギー危機からの脱出」という謎解き脱出ゲームがサイエンスアゴラでオンライン開催されました。謎作るの超大変だった。

とはいえ、未だパッケージ化には超えるべき壁が多々あるのでこれからも死なないようくらいに頑張りたいところです。

 

それではまた。

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