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【もののけ姫】見てきました!

皆さんこんにちは!

つぼです(●´ω`●)ノ

ブログ更新するのすごく久しぶりですね(笑)

何を書こうかなー、と思ったのですが今回はもののけ姫を見てきた感想を書こうと思います。

 

僕はもののけ姫は実は23年間生きてきて今回初めて見ました。金曜ロードショーとかでやっててもどうもタイミングが合わないまま過ごしてきてしまいましたが、せっかく映画館でやっているなら、と思って今回もののけ姫デビューを果たしてきました。

 

結果、見終わったあと僕はなんだか号泣してしまいました。

別に悲しいお話しではないんですが(悲しい場面はありますが…)なんだか泣いてしまいました。

「もののけ姫」を見て

ジブリについて話すと絶対僕より詳しい人はたくさんいるし、僕なんかが語るのははばかられるのですが、語らせてください(笑)

 

大まかな流れは、たたら場で鉄を生産するために自然を破壊してきた人間とそれに怒る山の神々との戦いの中で主人公であるアシタカが2者の共生できる道を探す物語です。

 

まず、「もののけ姫」のテーマは人と自然の共生なのではないかな

 

自然の共生を描く役者は主に4つに分けられて

1つ目は自然という資源を搾取しながら強欲に成長を目指し続ける人間です。たたら場にいる人々、特にエボシ様は象徴的です。

2つ目は人間の搾取に対して搾取され続けるだけでなく牙をむく自然。象徴するものとして乙事主やモロの君、シシ神が描かれています。

この2者の対立はかなり明確なのですが、サンは難しい。

3つ目は実際に人でありながら山犬に育てられたサン。人と自然の両方の属性を持ちつつ自然を破壊する人間を憎んでいる存在。自然側に立っている人間、例えば自然保護活動家のような立場なのでしょうか。

そして、4つ目はひたすらに両者の間で共生できる道を探すアシタカ

アシタカは物語の中で、観客である僕達に自然と共生していくにはどのような道を歩んでいかなければいけないのか、ということを問いかけているのだと思います。

 

これらの登場人物同士の関わりの中で自然と人との共生の難しさ、それでもあきらめずに共生の道を探し続けなければいけない重要性が伝わってきます。

 

問題は、どちらの側に立っても対立は解決せず憎しみを生み続けてしまうということです

人側に立って自然と向かえば、搾取する対象として自然をとらえ自然の発している警告に耳を傾けることが出来ず、最終的に資源である自然が滅んでしまい、共に人も滅んでしまうでしょう。

一方で、自然側に立って人と向かえば、人の活動に何かしらの強制的な制約を強いることになるでしょう。もちろん、行き過ぎた制約は人々の不満を高め、人同士での争いを引き起こしてしまうでしょう。

片方にしか立たない争いはただ憎しみの連鎖を生み続け、最終的にお互いに共倒れになってしまうだけです。

共倒れを避けるために私たちはお互いの立場に立って共生の道を探していく必要があります。

これは自然と人という対立構造だけにとどまらず、ありとあらゆる状況において大事なことです。

 

未だ共生の道を見つけられていない悔し涙

どうして泣いてしまったのかというと僕も正直ちゃんとは分かっていません。

でも、たぶん悔しかったんだと思います。

「もののけ姫」は23年も前に公開された映画です。23年も前から自然と人との共生の大切さを伝えているのに相も変わらず自然を搾取し続けている自分も含めた人間の愚かさが悔しかったんです。多少状況への理解や対策は行われていても未だに共生の道を見つけられていない。そもそも僕達は共生の立場に立とうとしているのか。結局、エボシ様とサンの争いをしているだけなんじゃないのか。その結果が今の新型コロナウイルスだったり地球温暖化ではないのか。いつまでこんなことを繰り返しているんだ、と。

23年も前から言われているのに変わることが出来ていない現状がとても悔しかったです。

だから、泣いたんだと思っています。

 

そして、僕の目指したいのは自然と人との共生との道だったんだな、と。

 

別にアシタカの生き方に影響されたわけではなくて、過去を振り返ったりこれからの未来でやりたいことを考えてみるとそこがテーマだったのかな、なんてことを思っていました。

結局自分は自然も人も(特に子供たち)同じくらい愛していてそれら2つが争っているのはつらい。悲しい。

僕達は自然の一部なんだから自然を蔑ろにして生きていけるわけがないし、だからといって自然の為に過度に制限された生活を送るのも人にとって自然ではない。やっぱりどっちかに立っているだけでは共倒れの道が待っていて、それらの立場にあっている人を共生の道へと向かうように伝え、考えて探していくのが僕の進みたい道なんだ、と思いました。

振り返ってみると、大学で環境を学びたいと思ったのは、環境汚染で苦しむ子どもたちを救いたかったからだし、

YMCAに入ったのは自然と子どもたちが好きだからだし、

学習支援をずっとしているのは何かに向かって頑張っている人を見て応援できるのが好きだからだし、

環境教育を学びたいと思うのは自然に対する人々の興味関心を生み出したくて、それで人々が自然を好きになったり興味を持ってくれたらより共生の道を進む人が増えるからだと思うし、

デジタルを学びたいのはより多くの人にアプローチできる手段を得て、多くの人と共に共生の道を歩んでいきたいから、

結局僕は人も自然も大好きで、だからどっちかに立つことはできなくて、2者が共生できる道を探していきたい。

1人で探してもできることは小さいからもっと多くの人にも一緒に共生の道を探してほしくて、だからこそデジタルや環境教育を学びたい、そういうことなんだな、と気づきました。

共生の道はどのようなものかどこにあるのか、は分かりません。

サンの立場、つまり人々の産業活動に対して、否定的な立場に立つだけではいけない、かなと思います。もちろんサンの立場も分かります。自然の中で生きる人の姿はやっぱりかっこいいし、「美しい」のです。でも、それは現実的ではないというか、たたら場にいる人々はついてこないんです。結局対立を生んでしまうだけなんじゃないのかな、と思ってしまうんです。

つまり、このブログでも何回か言っているように「たたら場にいる人」の立場に立ったアプローチ方法を考えていかなければならないし、その人たちへの理解も同様に忘れてはならないのです。

 

なんだか16くらいからやりたいことの方向性はあったのになんだか遠回りをしたなぁ、でも、そんなことも言ってられないなぁ、これからやらなきゃ…!

と悔し涙を流しながら決意を新たにしていました。

 

もののけ姫をこの年齢で見ることが出来て本当に良かったと思います。

本当にすごいいいタイミングで見ることが出来ました。

今度はナウシカ見ようかな…

 

最近は研究が忙しくてブログ更新できていませんでしたがまたぼちぼちと続けていきたいと思います。

それではまた会いましょう~!(●´ω`●)ノ

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