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【ひとりごと】その1

みなさんこんにちは!

つぼです(●´ω`●)ノ

 

今日は、今までの記事ほどしっかり書くほどの内容も無い僕の考えていることたちをまとめて書いていこうかなと思います。

 

銭湯ってコミュニティっぽいよね、という話

最初は「銭湯ってコミュニティっぽいよね」という話です。

僕の考えているコミュニティって来る人は拒まず、出ていく人も引き止めない。何かしらの共有財をみんなでシェアしていることは認識しているけど、明確に誰かの所有物という認識はない、それぞれがマナーを守ってその環境を維持している。そして、人々はその環境に属していることで満足している。

そんなものだと思っています。何となく、すごくアバウトな説明になってしまいましたがこんな感じです(笑)

 

でも、僕自身もあまり明確な説明ができるわけではないし、ほかの人にイメージしてもらうのも難しいよなぁ、と思っていました。

 

そんなことを考えながらスポーツジムのお風呂に入ってかいた汗を流していた時のことです。

「あぁ、これがコミュニティのイメージなのかもしれない…!」

という考えが降りてきたのです。

 

どういうことかというと

私たちが共有しているのは温かいお風呂です。

そして、銭湯に入っている人たちは誰がお風呂に入ってこようと誰が出ようと特に気にせず、それぞれゆっくりしています。ただ、それぞれが他の人を全く気にしていないのかというとなんとなくこんな人がいるのか、といった他者の存在の認識くらいはしています。でも、お互いに干渉することはないのです。その中にはゆるゆるとした関係性があるんじゃないかな、と思います。

 

そして、銭湯のお風呂に入って気持ちいいのは、広いお風呂を複数人で共有しているからなのではないでしょうか。

例えば、バスタブが人数分並んでいる銭湯があるとしてそのバスタブに一人ひとり入っている場合だとどんな気持ちになるでしょう。おそらく、それぞれのバスタブに入っているだけなのでのびのびはできないでしょう。

一方で、大きいお風呂に一人で入っている場合はどうでしょうか。確かに、のびのびはできるような気がします。しかし、お風呂の中に自分以外に誰もいないとなんとなく気まずいような、物寂しい気持ちになるのではないでしょうか。

 

やはり、複数人で広いお風呂に入っているのがなんとなく心地いいんですよね(笑)

 

ということで、銭湯で複数人でお風呂に入っている状態は何かしらの財をコミュニティ内で共有しているような状態に近いんじゃないかな、というお話しでした。

 

坂道ってノスタルジックだよね、という話

次は「坂道ってなんだかノスタルジックだよね」という話です。

 

こう考えたのは、小樽美術館に行ったときに中村善策さんの作品を見た時のことです。

中村善策さんは小樽市の風景を描いていた画家です。小樽市は坂が多いので必然的に坂の絵画が多いんです。その絵を見ているとなんだか懐かしい気持ちになったんですよね。このノスタルジックな気持ち(懐かしい気持ち)の原因はなんだろう?って思ったんです。

 

振り返ってみると坂道っていろいろな青春の場面に出てきますよね。

ゆずの「夏色」でも「この長い長い下り坂を君を自転車の後ろに載せてブレーキいっぱい握りしめてゆっくりゆっくりくだっていく」

という歌詞がありますし、

ジブリでも「耳をすませば」とか「魔女の宅急便」とか「コクリコ坂から」でも男女2人で自転車で下ったり上ったりする場面がありますよね。

 

上り坂というと、苦労とか努力とかそのようなイメージがあるのは分かるんですけど下り坂って何を表すのでしょう。下りを自転車で下るようなワクワク感でしょうか。

 

坂道が青春とか懐かしさと結びつくのはなぜなのでしょう。

ジブリとかでそのようなものとして描かれていてそれを見ながら私たちが育ったからでしょうか。

 

ジブリで描かれているから懐かしいのか、懐かしいから描かれているのか

どっちが先なんだろう、ってことを考えていました。

 

煙はなんだか物悲しくなるよね、って話

次は「煙はなんだか物悲しくなるよね」という話です。

これも中村善策さんの描かれていた絵画を見て思ったことです。その絵画は「けむり」という作品で、後ろ姿だけ見える女性が船から立ち上る煙を見ている絵画です。

この絵画を見て、描かれている女性が物悲しい気持ちになっているような印象を受けました。女性の顔は見えないのでけむりというモチーフが物悲しさを表しているのではないか、と思ったんです。

 

どうして物悲しくなるんでしょう。

 

僕の考えは、船の煙を見ると別れを想起するからじゃないかな、というものです。

船からの煙は船の出航を意味していて、誰かが遠い場所に行ってしまうようなイメージを持っているからなのかもしれません。

 

無くなったコミュニティにいた人はどうなるんだろうね

最後の話は谷口能隆さんの写真展を小樽市美術館で見た時の話です。

僕が一番気になった写真は手宮市場の写真です。この手宮市場は2年前に閉店し、101年の歴史に幕を閉じたようです。展示されていた写真は、閉店する最終日のものにおばあさんがおじいさんのお店で買い物している写真です。

 

この写真からおばあさんとおじいさんの会話が聞こえてくるようでした。おそらくこの市場はそこに住む住民のコミュニティ、つまり買い物をするだけでなく、情報交換したりする場になっていたんじゃないかな、と思ったんです。

 

彼らにとっては、買い物をするだけよりも大きな価値がある場だったわけです。

そして、市場の閉店後にその場が無くなったならば、そのコミュニティにいた人々はどこに居場所を求めるのだろうか、ということを考えていました。ちゃんと居場所を見つけられたのかな、とか、孤独になっていないかな、とかそんなことを思っていました。

 

持続可能なコミュニティが大事なんだろうなぁ

さいごに

なんだか、とりとめのない記事になってしまってすいません(笑)

これからもこんな感じで細かい気付きや考えについての記事も時々書いていこうかな、と思います。

 

それでは、今日はここらへんで終わります。

また会いましょう~!(●´ω`●)ノ

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