みなさんこんにちは!
つぼです(●´ω`●)ノ
以前に「自分事」とは一体何か、についての記事を書きました。
自分事として私たちが様々な社会問題を考えていくには何を大事にすればよいのか、という話を以前の記事の中でして、そのためには「危機感」と「身体的没入感」が大事だ、という話でした。
ただ、実はもう一つポイントになるようなものがあったということに気付いたこと、そしてもっと分かりやすい図に落とし込めそうだな、と思いました。そこで、今日は新たな「自分事の因数分解」についてお話ししていきます。
「自分事」を軸で捉える
以前は自分事として捉えるためには「危機感」と「身体的没入感」が重要というトピックについて触れたのですが、今回は軸に置き換えて考えてみようと思います。
今回考えたトピックは3つなので3軸になっています。高校生の時に数学でやったやつですね(笑)
まず、僕の考えた「自分事」をとらえるための3軸はこのようになります。

3つの軸は
「デジタル ← → アナログ(フィジカル)」
「ワイド ← → ローカル」
「ファンタジー ← → リアリティ」
になります。
そしてこの図において右奥に行くほど「自分事」として捉えやすいようになります。
次はそれぞれの軸について説明していきます。
デジタルかアナログ(フィジカル)か
まず1つ目に説明する軸は「デジタル ← → アナログ(フィジカル)」の軸です。
この軸においては、アナログ側によればよるほど「自分事」として捉えやすいようになります。
アナログ方向について
ここでいうアナログというのは直接の体験です。
つまり、実際に自分がその体験を行うことで自分事として捉えやすくなるということです。身体的動作を伴う体験といった方がイメージしやすいかな、と思いフィジカルもカッコで付けました。
皆さんも農業体験とか職業体験とかを学生の時にしたのではないでしょうか?
このような体験を含んだ学習は、その場に行き実際に自らも一員として活動することで、関わった物事をより身近なものとして捉えることが出来ます。そしてその物事について自らの経験を通して語れるようになります。
このように語ることができるようになったのは自分事としてその物事に携わったからだといえます。
やはり、みなさんも農業を教科書で学ぶのと実際に農業を行うのでは学べるものが大きく異なり、考える内容も深まったのではないでしょうか?
ちなみに、以前の記事で触れた「身体的没入感」という部分はこのアナログ(フィジカル)の方向に入っています。
デジタル方向について
一方でデジタルというのは本やテレビやスマホなどの何かしらの媒体を通して得た体験です。
現在の技術ではやはりアナログ、つまり実際の体験やその周りから得られる情報量が媒体を通して得られる情報量よりも圧倒的に多く解像度も高いためアナログな方向の体験の方がより「自分事」として捉えやすくなります。
ただ、情報技術が向上しデジタル情報が実際のアナログ情報と遜色なくなったならば、この軸は意味がないものになるかもしれませんね。
ローカルかワイドか
次は「ワイド ← → ローカル」の軸です。
この軸においてはローカルによるほどに自分事として捉えやすくなります。
ローカル方向について
ローカルというのは地域やコミュニティに属したものであるかどうかということです。これは以前の記事おける「危機感」にとても関連しています。
ほとんどの人は何かしらのコミュニティに属しています。そして、人々はそのコミュニティが半永久的に続く安定したものだと思っています。しかし、このコミュニティに対して何かしらの危機が外部から与えられたときに人々はコミュニティに危機感を感じ、その外部からの危機を与えることになった根本的な問題について考えるようになります。
これは、環境問題や地方創生などの文脈において特によくある例だと思います。
物事の規模がコミュニティレベル、地域レベルであればあるほど人々は危機感を感じ自分事として外部からの問題について考えるようになります。これはスケールが小さくなるほどに自らと密接な関係性があるためです。
ワイド方向について
では、ワイドになるとどうなるのでしょうか。
本当はローカルの反対語はナショナルとかネーションですがそうなると国レベルに限定されてしまうような気がしたのであえてワイドという表現を用いました。
ワイドになった、つまりスケール感を広げると逆に人は自らとそれらとの関係性を見出しにくくなり自分事としては捉えにくくなります。
みなさんも地球レベルの問題を考えると途方もないような気がしませんか?
サブサハラ地域の貧困問題と言われてもパッと来ない人が多いと思いますし、地球温暖化よりも月々の電気料金について考える方が考えやすいですよね。
物事がワイドになりすぎる、つまり、物事のスケールが大きくなりすぎると関係性が見出しにくくなり自分事として捉えるのが難しくなります。
スケール感は自分事として物事を考えるにはとても重要です。
危機感についてもっと知りたい方は以前の記事をお読みください。
ファンタジーかリアリティか
最後は「ファンタジー ← → リアリティ」の軸です。
この軸においてはリアリティ方向に行くほどに「自分事」として捉えやすくなります。
この軸はイベントなどのストーリーに関する軸だと思ってください。
リアリティ方向について
リアリティ方向にあるストーリーで一番イメージしやすいのはドキュメンタリーです。
ドキュメンタリーはその世の中のリアルを映し出してくれるため観ている人々に大きな影響を与えることになります。僕ももともとアフリカの貧困問題に関するドキュメンタリーを見て環境や衛生に興味を持ちました。みなさんの中にも何かしらドキュメンタリーのようなリアルなストーリーに影響を受けている人はいるのではないでしょうか?
これは完全なリアルを突き詰めたドキュメンタリーでなくても、リアルに寄せた物語でも成り立ちます。
リアリティのあるストーリーにおいて、自分や世界の状況と照らし合わせていく中で自分事として捉えるようになるのです。
ファンタジー方向について
では、ファンタジー方向についてはどうでしょうか?
ファンタジーは設定から創作された物語なので、そこに読者が自分と照らし合わせる要素は少なくなります。
魔法が使えるような世界の話で偉そうな貴族と奴隷がいたとして、その奴隷に同情し、貴族を嫌な奴だと思うことはあっても、そこから格差の問題を考える人はほとんどいないと思います。
ファンタジーは人々を楽しませるエンターテインメントとしてはとても優秀ですが、自分事として捉えるには難しいものです。
楽しませながら自分事として捉えてもらうためにファンタジーとリアリティのバランスもまた、とても大事です。
まとめ

今までの説明を通して、この図におけるそれぞれの軸の意味が解っていただけたらとてもうれしいです。
そして、右上の奥側に行くほど「自分事」として捉えやすくなるということもわかっていただけたらさらにうれしいです。
今日お話ししたことは社会問題について考えるようなイベントやプログラムを作成する際にとても重要なものです。
僕もこれを常に意識しながら作っていきたいと思いますし、ここまで読んでくださったみなさんもぜひ意識してくださいね!!
おわりに
ということで今日は「自分事」について改めて考えてみた、というお話しでした。
実は僕が今関わっているイベントでもこの「自分事」というテーマで話し合っていました。
どうしても今の情勢の中で1つ目のアナログとデジタルの軸はデジタル側に寄らざるを得ない中でどのように自分事をイベントの中に組み込んでいくのか。それについて考えていた時に2軸じゃなかったんだ!と気づきました(笑)
ま、問題はそこからどのように他の人々にそれを伝え、イベントを自分事として捉えるものに全体として作り上げていくのか、で、グループ内の人間関係が絡んでくるので大変です(笑)
余談が過ぎましたので今日はここらへんで終わります!
ゼミ発表が終わったら、次はサンプリングが迫っているのですが、できる限りブログは続けていこうと思います!!
それでは、また会いましょう~(●´ω`●)ノ