サイエンスコミュニケーション

【分かり合えないこと】から始められるの?

※はじめに

今回はかなり感想で荒れてます。僕の率直な気持ちを少しオブラートに書きましたがたぶん不快な気持ちになります。読むなら、最高にポジティブな気分の時に見ることをお勧めします。

 

みなさんこんにちは!

つぼです(●´ω`●)ノ

 

5月30日に平田オリザさんをゲストに招いて行われたワークショップにオンラインで参加してきました。

前回の記事で参加前における僕の「わかりあえないこと」への考えを書いたので今日はワークショップ後における「わかりあえないこと」への考えを書いていきます。

 

学び、気付き

結論から言うと前回話した考えが深まりはしたんですけど、真新しい収穫はないです(笑)

なのでまず、内容がどのように考えが深まったのかについてお話しします。

ワークショップのまとめ

最初に、このワークショップの肝を言うと

シンパシー(思いやり、同情)はあるけど

エンパシー(共感)はない

ということです。

 

共感は相手のコンテクスト(背景、価値観)への理解であり、自分と相手のコンテクストがどうやっても完全一致はしない、という理解が今は足りないし、そのために対話が大切

ということです。

 

日本人は「分かり合わない」に向いている

僕が平田さんの話で興味深かったのは会話対話に関する話です。

日本人は古来からお互いに深くまで「分かり合おうとしない」文化だったのです。

例えば、俳句だと「古い池や 蛙飛び込む 水の音」という5・7・5のたった17文字だけでなんとなく情景が頭にうかび蛙が飛び込んでチャポンッという音がするのをイメージできるのではないでしょうか?

ここまでいっしょでなくてもある程度同じものを浮かべる人が多いと思います。

よく言う「空気を読む」というのもその場における暗黙のルールをなんとなく察するような文化があるからこそ生まれる言葉なのでしょう。

このように過去から現在まで残っている文化を見てみると日本人はもともと分かり合えないことを良しとする文化にいて、その文化は今もある程度残っているのだと言えます。

これが成り立つのは日本人は単一民族であり多様性を意識することが諸外国と比べそれほどなく、日本人ならほぼ同じようなコンテクストを共有していることが前提だったからです。

 

コンテクストを共有しているという前提の崩壊

これが上手く回らなくなってきたのが今の時代です。

理由の一つは単純に区別できるものが減ってきたからです。

今まで単一だったり2限的に区別できていたものが区別できなくなってきました。

例としてジェンダーを考えましょう。

今までは男と女でそれぞれこうあるべきという観念がありましたが、今は性別に関係なく生き方は様々存在し、トランスジェンダーやバイセクシャルという新たな考え方が浸透してきました。

このように今までは単純に捉えていたことで成り立っていたコンテクストの共有感が成り立たなくなってきました。

 

もう1つの理由はネットの普及です

特にLINEやTwitterのようなSNSが普及したことが大きい原因です。

ネット環境で行間を読むことはとても難しいです。なぜなら、その裏にある空気感や体験を共有出来ていないからです。

いままでは、その場にいてなんとなく共有していた空気感を感じられなくなっているのです。

 

日本人に向いているのは「会話」の社会

振り返ってみたら阿吽で成り立つというか、何も言わなくても察せることが出来るのが日本の社会で結局そっちの方が日本に向いている気がします。

というのも、日本人は強く自分を主張したりするのが向いていないと思うんです。なんとなく空気感を共有して何も言わなくても共助しあう。そんな社会が向いているんだと思います。いわばシェアコミュニティとかですね。

 

これはあくまで日本国内の話で海外ではそれぞれの国にあった社会の形があると思います。

 

なので対話と会話の話に戻ると、日本社会の理想形は「会話」で成り立つ社会です。

しかし、そのためにはある程度のコンテクストの共有と理解が必要で、現在はそれが難しいのは前に言ったとおりです。

では、どうするのか?

そこで必要なのが対話です

そして、対話を行うのに必要なのは僕が以前の記事で言った通り

「分かり合えない前提に立つこと」が大切だと僕は思っています。

(詳しい説明は前回の記事を読んでください)

 

「分かり合えない前提に立つ」にはどうするか?

平田さんは教育が一つの方法だと言っていました。

ただここで一つの疑問が

義務教育課程が終わっている人に対してはどうするのか?

学びなおしとか生涯学習に興味がない人が最もコンテクストの共有や理解から遠く、そのような人にこそアプローチをするべきではないのか?

 

もう気になってしょうがなかったので、最後の質問の時間に平田さんも含め参加者全員に聞いてしまいました。

結論から言うと、特に明確な答えはなかったです。

いや明確な答えがほしかったわけじゃないんですけど。会場からいろいろな意見が出てくるのをすごい期待していました。

これに対して、平田オリザさんはアートで行うとおっしゃっていました。

確かにアートは価値観を可視化したものでそこからアーティストが表現したかった価値を感じ取るのは明確な正解はなくて対話が生まれるのでコンテクストの共有や理解という面では1つの手法です。

でも会場からは特になくて、

1つ出たのは「博物館での防災体験会」

うーん、まぁそれが防災に意識が向いていないような人へのアプローチになったのかというと難しいというか、まぁでも、防災という観点から対話性や多様性の理解につながったのならありなのかな…

詳しく聞きたかったなぁ、時間の関係で聞けなかったのが残念

まぁ、僕は環境教育やそれとありとあらゆるものを結びつけて考え続けるだけですね

 

感想

※閲覧注意 あくまで個人の感想です。(さすがになぁ、と思ったので6月18日に多少訂正しています)

本当に見てもいいの?

 

見て不機嫌になっても知らないよ?

 

もう、言ったからね?これで何か文句言っても知らないよ?

平田オリザさんのワークやお話しは面白かったです。特にワークの内容については多様性に関してとても考えられるものだったのでボランティア等でアレンジさせて使おうかなとも思います。

ただ、参加者と僕の必要としていることが違うな、と強く感じました。

このワークショップに参加していた方はおそらくある程度サイエンスコミュニケーションなりファシリテーションなりに興味がある人、携わっている人が集まっています。

僕の個人的な興味としてはいかにその部分に興味がない人にアプローチするのか、興味を広げられるのか、です。一方で、多くの参加者は手法そのものに興味がある人が多かった印象です。

特に、ワークショップが終わって自由に話し合う時に最初に話した内容が「フィッシュボウル」の話だったのは驚くと同時にあきれてしまいました。(笑)(フィッシュボウルはワークショップの手法のようです。詳しくは知りません。)

 

もっと今日のワークショップの本題について話す人がいてもいいのかな、と思いました。

 

ワークショップ中も残念な気持ちになることがありました。

それは「分かり合えないことを乗り越えるにはどうするのか」について話すときです。

ただ、自身のコロナの感想を伝えあうだけの人が非常に多かったです。

 

国の陰謀論とか話してもしょうがないのにな、と思います。

 

なんだか、参加者と僕自身とのすごいコンテクストのずれを実感してしまったワークショップです。

自分たちの中だけで閉じていても意識高い組織ができるだけで何も変わらないと思うんだけどなぁ…

ずれてたのってコンテクストなのかなぁ…

もともと意識の高い人たちが集まっている(はず)なのにこの状況ならば、一般の人たちを集めたらどうなるのか?もっとハチャメチャになるのでしょうか…

 

究極に分かり合えなさを実感したワークショップでした(笑)

 

ポジションをとらないとダメダメ

そして、やっぱり実感したのはポジションが無いとみんな理解をしようとすらしないということ。

例えば、僕がもっと著名人なら確実にもっとみんな理解しようとするし、意見も活発に交換するでしょう。

つまり、みんな一大学院生の話なんて聞く価値が無いと思っているんです。

やっぱ人は見た目が9割ですね(笑)

つまり、何かを創り出すなりして社会に認められないと残念ながら今の社会は人の話を聞こうとしない人が多いのと一緒です。

やっぱり、話を理解してもらえるようにポジションを得るため、何か価値のあるものを生み出し続けなければいけないなと本当に心の底から実感しました。

そして、僕は年齢や役職で内容を判断しないでとりあえず話を聞いて理解して自分なりの解釈を全力で伝えられるような大人になる、と自分がそうであった分強く思いました。

 

そして、年齢とか外形にとらわれずその奥にある多様性や価値観を受け止められるような世界を作らねぇとなぁ、と

 

なんだかんだ反面教師的に学びがたくさんありましたね。

 

(ちなみにこのブログは発信のほかにも僕の学びの言語化も兼ねてますのでポジションを取ってなくても書きます)

 

さいごに言い訳

いやぁね、めっちゃいろいろ言ったけどおそらくみんながみんな僕があきれたような人ではないんだと思います。参加者の中にも素晴らしい人はいるし、たまたま、そのような人が多かっただけでもっと他の職種なりコミュニティには心の広い(?)人がいると信じています。

特に、去年のCoSTEPの実習を担当してくださった古澤先生は僕にワークショップ中にアドバイスをくれたし、平田さんの質問の本質も見抜いていて改めて尊敬しなおしました。

とりあえず、給付の10万円が入ったら平田オリザさんの「わかりあえないことから」という本を古澤先生に勧められたので読むことにします。

 

それにしても疲れたなぁ…

分かり合えないって疲れますね(笑)

 

こんな記事を読んでくれて本当にありがとうございます。

 

それでは、また会いましょう~!(●´ω`●)ノ

 

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