みなさんこんにちは!
つぼです(●´ω`●)ノ
今日は、複雑化する社会の捉え方についてお話しします。
どうしてこの話をしようと思ったのかというと
CoSTEPの友達同士で読書会をしていた時に、そのうちの1人が
「誰が世界を変えるのか」
という本を紹介してくれました。
その時の彼の感想の結論は確か
「複雑なものを複雑なまま捉える」ことが大切
ということでした。
これを聞きながら僕は
それはそうなんだけど「問題はそこからどう複雑化する社会に対する解決方法を持ってくるか」なんじゃねえかな
と思っていましたが
じゃあどうするのか、というと
「うーん、わからんな」
って感じでした。
今日はその「複雑化した社会の捉え方」について僕の考えを書いていきます。
複雑化する社会の捉え方
全体構造の俯瞰
まず社会全体の捉え方としての「複雑なものを複雑なまま受け取る」というものに関しては僕も同意です。
戦後の高度経済成長期の日本は一様な生産ラインにおいてただひたすらに効率を求める社会でした。
その結果生まれたのが全体において一様性を求めるような社会です。
教育方針も規律を求め一様であることが求められ、社会においても協調性が尊ばれていました。いわば、言われた通りのことを黙々とするだけの人々が求められており、仕事が与えられていたのです。
しかし、そのような社会は終わりつつあります。
原因は急速な機械技術の成長です
AIや産業機械による機械化が進んだことで、効率性が求められる単純な作業においては、それに対応した機械を導入した方が人間よりもミスも少なく生産性も高いからです。
そして、社会全体に対して一様な方法を当てはめることによる弊害も出てきています。
例えば、今の学校教育のカリキュラムは全体の習熟が大事でその中で取り残されていく子どもたちを救う策にはなっていません。
他にも介護の場では高齢者による高齢者の介護の問題(8050)などがあるようです。
このように社会の問題が複雑化する中で従来の縦割りでの解決は限界があることは明確です。
縦割りによる解決法ではその狭間や枠からこぼれ出た人々を救うことが出来ません。
そこで、一度複雑化する社会に1本無理やり何か解決策を通そうとするのではなくて、一度社会全体の問題構造や周りの因果関係を俯瞰して見よう
ということです。
これにより社会の構造を一度、ある程度把握することはできます。
適切なスケールの把握
複雑なものを複雑なまま捉えていたらそこで何か問題解決に向かおうとしてもその複雑さに面食らい二の足を踏んでしまうでしょう。
では、何もしないでいるのかというとそれも違います。解決しないと俯瞰した意味がないからです。
次にするのは、問題解決の適切なスケールの把握です。
複雑な社会をのスケールを広く捉えてしまうから、無理が生じ解決方法から外れてしまう人がいるんです。
とはいえ、スケールが小さすぎると枝葉に注視してしまい何のためにやったのかよく分からなくなってしまいます。
大切なのは適切かどうかです。
例を出しましょう。
市町村レベルの問題(例えば過疎化)に対してむりやり国が解決策を推し進めても、問題の原因は市町村によって異なるため必ず無理が生じてきますよね。
ここで必要なのはどのようなスケールで解決していくのかです。
過疎化の例ならば、その原因が県外への移動なら都道府県レベルの解決法が適切かもしれませんし、県内移動が問題ならば市町村レベルの解決になるのかもしれません。
教育に関していえば、学校の経営の問題なら学校レベルだし、個人の教育レベルの問題ならば個人に沿った教育方針を考えていくことが大切です。
つまり
どのスケールの問題なのか
どのスケールで解決策を提示していくのか
この把握が複雑化する社会を俯瞰して見た後に必要です。
AIと複雑化する社会
AIは複雑化する社会で活躍する
つまり
1.社会構造の俯瞰
2.社会構造の複雑性の把握
3.問題構造、因果関係の発見
4.解決にふさわしいスケールレベルの選択
5.スケールレベルにあった問題解決法の提示
という流れがあるということですが、ここの一連の流れは今後AIに取って代わられます。
なぜなら、これらはデータ量が多すぎて複雑化しているために人間の処理レベルで扱うのはかなり難しいからです。
この作業ができる人がいるならばよほどの天才だけでしょう。
彼らは市場における希少価値が高いため雇うには多大なコスト(給料)がかかります。
一方、機械は違います。
機械はデータの処理が得意で保持できるデータ量も圧倒的です。人間が行うよりも圧倒的に早く、そして低コストでこの複雑化する因果関係を把握してくれるでしょう。そして、その因果関係を元に過去の事例などを参考にしながら解決策を提示してくれるのではないでしょうか。
人に残された仕事
では、私たちは何をするのか
提示された解決策の実行部分です
具体的にすぐに思いつくのは、実際に国民に向けて政策決定を行う政治家や、個別の対応を行う教師や保育士、介護士などです。
このように人と人との関わりを最後に担うような職業はまだ機械に取って代わられることはないです。
(100年後とかは知りませんが笑)
特にそれぞれ対応策がパーソナライズ化されるであろう教育のような分野に関してはさらに担う人材が必要になることもあり得ます。
つまり
複雑化している社会における問題の解決方法がAIのような機械によって導かれ、その解決法の実行を人が担う
ということです。
まとめ
複雑化する社会を捉えるだけでなくその先の解決方法まで各スケールに合わせて考えていかなければいけない、という話でした。
今はまだ人間がこの役割を担っていますが数年後は分かりません。
実際に広告は人工知能を使ったサービスによりパーソナライズ化されています。
やはり、今後この複雑化される社会に対して解決法を与えるような仕事はAIのような機械が人の代わりに担っていく可能性が高いです。
そして、人は機械に取って代わられない解決方法の実行部分、つまりパーソナライズ化された個人との関わりの部分に移っていくでしょう。
機械に出来なくて人間に出来ることは何か?
人間が行うからこそ生まれる価値を探していくことで、さらに人間が人間らしく活動できるようになるのではないでしょうか?
人だからこそ生まれる価値は何か?
最近はそんなことばかり考えながらいろいろな物事の価値を探す旅に出ています。
例えば以前の記事で紹介した論語(つまり儒学)は日本人にとって生き方の方向性や規範を与えたもので私たちの生活において生き方を示すという価値を与えたと思っています。
このように当たり前のものだと思っていた価値に1つ1つ目を向けていくことが、人が機械にとって代わられる時代だからこそ大事なのだと思います。
でもって、ディープラーニングを使うと人間活動の価値が顕著に見えてきそうな気がするんだよなぁ…
それでは、また会いましょう~!(●´ω`●)ノ
僕の友達が紹介していた本はこれです!