サイエンスコミュニケーション

【分かり合えないこと】から始めよう

みなさんこんにちは!

つぼです!(●´ω`●)ノ

 

僕は今日の夜

「わかりあえないことからはじめよう – これからを生きるためのミニワークショップ」

に参加します。

このワークショップは平田オリザさんをゲストに招き「分かり合えなさ」にフォーカスしたワークショップです。

申し込みサイトに書いてあるイベント概要はこんな感じです。

【イベント概要】

他人のことは,わからない

未来のことは,わからない

わからないことが,わからない

 

みなさんは,わからない/わかりあえないことで,生きづらいと感じることはありませんか?

新型コロナウイルスの感染拡大によって,今まで気づかなかったわからないことが顕在化し,様々なわかりあえなさに困難を感じるようになった方も増えてきたのではないでしょうか.

 

そこで今回は,青山学院大学ワークショップデザイナー育成プログラム(WSD)講師で,劇作家の平田オリザさんをお招きし,今だからこそ求められる「原体験の不足を補う疑似体験」に触れるワークを,オンラインで開催したいとおもいます.

https://passmarket.yahoo.co.jp/event/show/detail/01087v10zp02e.html

そこで夜にワークショップに参加する前に、自分なりの「分かりあえなさ」についての考え方をまとめようと思います。

 

「分かり合えない」は当たり前

「きっと分かり合える」は不幸になる

僕は「分かり合えないこと」について

「分かり合えない」のは当たり前

というスタンスです。

 

「きっと分かり合えない」という前提のもとで人と関わっていくことが大切だと思います。

 

そもそも

「きっとこの人となら分かり合える」

とか

「僕の思いを伝えれば分かり合える」

という前提の下で関わるから実際に分かり合えなかったときに不幸になります。

初期の期待値が高い分、落差も大きいため自分も苦しいし、相手にとっても勝手に分かり合えると期待されて失望されたらいい迷惑ですよね(笑)

僕達はきっと分かり合える

という前提は自分も相手も結局不幸にしてしまうのです。

 

「どうせ分かり合えない」から始める

では、どうするか?

 

前提を「きっと分かり合える」から「どうせ分かり合えない」に切り替えることです。

 

僕達はきっと分かり合えないという前提のもとに立って関わっていくことで

何かしら分かり合える部分があったら「うれしい!」と思えるし、分かり合えなくてもそんなに落胆しないようになります。

ましてや、自分の価値観を相手に押し付けたりというようなことはなくなるのではないでしょうか?

 

もっと言ってしまえば分かり合えない部分を知った時は、「面白い!」と思えるようになればいいと思います。だって、その分かり合えない部分は今まで自分の思いもよらなかったようなことでそれを軸に生きている人がいるって面白くありませんか??

それくらいの相手に対して軽い期待値を持って関われたら多様性がもっと身近になるのではないでしょうか?

 

「分かり合えなさ」における僕の悩み

なんとなく僕の中でスタンスは出来ているのですが、実際に難しいよなぁ、と思うことがあってどうすればいいんだろうか、と悩む部分もあります。

対話と議論の棲み分け

悩むポイントの1つ目は「対話と議論の棲み分け」です

 

「どうせ分かり合えない」という前提のもとで多様性を重視して人と関わっていくならば、ある物事について1つの答えを出すのはあまり得策ではありません。

「どうせ分かり合えない」という前提のもとで行っているのはあくまで価値観の共有であり、答えは複数あってもいいのです。

 

しかし、何かの物事について1つの答えを出さなければいけない場面は往々にしてありえます。特に会社で何かしらのプロジェクトに関わっていたりすると1つに決めないと物事は進みません。

 

ここにおいてそれぞれの場で行われているのは対話議論です。

つまり

対話は「分かり合えない」という下での価値観の共有

議論は何か一つの答えを出す

ために行われるワークです。

 

対話は複数の答えがあってもいいけど、それが議論のテーブルに乗ると何か1つの答えを導かなければいけない。

 

議論をしなければいけないもとでどのように対話を組み込んでいくのか

そもそもそのようなことが出来るのか

それがまだ分かりません。

 

「分かり合えない」前提に立つには

2つ目の悩むポイントは

「分かり合えない」という前提に立つにはどうすればよいのか?

ということです。

 

人は「分かり合える」という前提に立つからお互いに不幸になるという話は先ほどしました。

では

どのようにして「分かり合えない」というスタンスに立つ人を増やし、多様性を面白がる寛容な社会を生み出していくのか

ということです。

 

僕の場合だと、CoSTEPの経験やWEEKLY OCHIAIを見たり、それをブログなりノートに言語化する中でそのようなスタンスに立っていきました。しかし、誰もがそのようなことを出来るのか、というと難しいでしょう。

環境教育や高等教育などの教育分野は1つの方法だな、と思っています。

ただ、それ以外には今回のようなワークショップに参加するとか本を読むとかしか思いつきません。そして、これらはすべてもともと「分かり合えなさ」に関心がある人に対してしかアプローチできません。

ほんとうに必要なのはもっとマスに存在する人々でそのような人々に考えてもらうにはどのようにすればいいのか、

これが2つ目の悩みです。

 

おわりに

「分かり合えなさ」ってそれ自体を認めるのって結構難しいし、その前提に立つにはどうすればよいのでしょう…?

うーん悩みは尽きない…

 

今日はここらへんで終わります!

今日の夜のワークショップに参加して、自分の中で新しい気付きや学びがあったらまた報告しますね!

それではまた会いましょう~!(●´ω`●)ノ

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