社会

【自分事】を因数分解

みなさんこんにちは!

つぼです(●´ω`●)ノ

 

いきなりですが僕は最近人々が社会問題に興味関心を持ったり自分事として捉えるにはどうすればよいのだろうか、ということを考えています。

 

そこで今回は僕なりに「自分事として捉える」を因数分解してみました。

 

まず、僕が最初に「自分事として捉える」ということについてちゃんと考えたのはCoSTEPで「エネルギー危機からの脱出」というサイエンスイベントを企画していた時です。

(その時の体験に関する記事はこちら

その時は、身の回りで普段何も考えずに当たり前のものとして使っている電気やガスなどのエネルギーについて考えてもらおう、ということで行っていました。

その時の参加者には、主にエネルギーミックスについて考えてもらいました。そして、どのような発電方法が私たちの生活にとって最も望ましいのか。そんな普段考えないことについて真剣に考えてもらうために、自分事としてエネルギー問題をとらえるということを大切にしていました。

 

このように身の回りにある社会問題について自分事として考える機会というのは日常生活においてあまりないと思います。

でも、時々恐ろしいほどにいきなり人々が社会問題に興味を持って声をあげ始める状況もあって

「それってなんでなのかな

他の社会問題は目が行かないのに、声をあげないのに

どうしてそっちにだけ目が行くのかな、声が上がるのかな」

と思うわけです。

 

最近だと、新型コロナウイルスやそれに伴って検察庁法改正案への人々の声の高まりにはとても興味があります。

 

そこで、僕なりにみんなが自分事として問題をとらえていくにはどのような要素が影響しているのか、について考えたことをお話ししていきます。

 

「自分事として」捉えるための要素➀

圧倒的危機感

問題を「自分事」として捉えるための要素の1つ目は圧倒的危機感です

どういうことかというと自分の身の回りの環境の安心・安全が実生活レベルで脅かされる時に人々はその危機の原因と考えられる事象に対して「自分事」として考え始めるということです。

新型コロナウイルスの場合を考えてみましょう。

中国の武漢ではやり始めたころはまだ自分の生活圏には影響がなかったためにみんなあまり深く新型コロナウイルスについて考えている人はいませんでした。しかし、実際に日本でも流行し始めて緊急事態宣言や発令されたり志村けんさんがお亡くなりになられたことで人々は自らの健康に関してとても神経質になりました。

これは身の回りに本当に死が差し迫っている可能性があるということを感じたからだと思います。

また、仕事の立ち行かないような事業者が出てきたことで人々は経済的な面にも目を向け始め、10万円給付だの学費免除だのと声をあげ始めました。

僕はこのような問題に声をあげることや目を向けること自体はとても大切なことだと思っています。だからこそ、もっと他の問題にも目を向けてみたらいいのに、と思ってしまうわけです。

 

では、なぜ他の社会問題について目を向けて考える人が少ないのか。その理由を考えると2つの人間の習性にたどり着きました。

1つ目は近視眼的である

2つ目は利己的である

ということです。(あくまで総体での話でそうではない人が少なからずいることは知っています。)

 

1つ目の近視眼的であるというのは、未来のことまで考えている人々が少ないということです。ここでの未来とは1年後や5年後のことではなく、50年後や100年後のことです。自分たちの世代だけでなくそのあとの子どもや孫の世代の未来まで考えている人はどれだけいるのでしょうか。今を生きることも大切ですが、未来を向いていないと向かうべき方向を見誤ってしまうと思います。

 

2つ目の利己的であるというのは、自分を中心にして物事の流れを考える人が多いということです。つまり一にも二にも自分の生活を大事にする人が多いんです。

この風潮は日本では近年特に高まっているように感じます。なぜかというと僕の周りにも「生きる理由は自分が楽しむため」という人が多くなったな、と感じるからです。個人が尊重される社会は素晴らしいし、僕もそうであるべきだと思っています。ただ、個人が好き勝手やっていたならば社会は成り立たなくなります。

あくまで、ビジョン、つまり向いている未来の方向性は同じである必要があります。皆が顔は違う方向を向いていても体は同じ方向を向いているような感じです。「自分が楽しむため」に生きるのも大事だけどその世界には「他人」はいないのかな、と少し悲しい気持ちになります。他者のためだけに生きろ、とは言いませんが、自分のためだけに生きるのはあまりに利己的だな、と。自分も他者も楽しく生きるのが最良だしそこを目指すべきなのにな、と思っています。

 

では、どのように社会問題を伝えていくべきなのか。

それは身の回りに差し迫っている近視眼的な予測を皆に分かりやすく伝えることです。そしてその内容は本当に彼らの生活に直結するようなレベルでないと本気で考えようとは思いません。貧困の問題や地球温暖化の問題など数多くの社会問題がある中でそれぞれがどのような影響を近い将来起こすのかを生活レベルで伝えることが出来る人が求められているのでしょう。

私は、どちらも専門外なのでそれについてこの場でお話しすることは控えますが、何について話すにも大切なのは科学的知識に基づいた話をして決して無闇に煽らないということです。危機感を煽りすぎると解決しよう!というよりも社会不安の方が大きくなりますし、科学的根拠のない話だとそもそもその事柄に対して不信感を持たせてしまう原因になります。

 

「自分事」として捉えるための要素②

身体的没入感

先ほどの話は心理的な側面が強かったのですが、今度は物理的側面の強い話になります。

2つめの「自分事」として捉えるための要素は身体的没入感です。

これは実際に手を動かしたりといった身体的動作をしながら体験をすることで没入し自分事として捉えやすくなるということです。

体験学習、アクティブラーニングなどはここに入ってくると思います。

例その1 農業体験

農業体験ってしたことありますか?田植えをしたりとかするやつですね。教科書とかで生態系とか食について学ぶよりも、実際に田植えをして手を動かして汗をかきながら作業に没頭する中で触れた生き物や自分の植えた米についてより深く自分事として考えるようになる、というものです。

例その2 ゲーム

かなり昔ですが10年以上前にWiiが流行りましたよね。これも体を動かすことによる没入体験の効果だと思っています。これはゲームなので自分事として考える、というのとは違いますが没入して楽しむという意味ではとてもいい例だと思います。また、最近ではNintendoSwitchでリングフィットアドベンチャーが流行ってますよね。これもゲームと身体的動作を組み合わせたうまい没入体験の例だと思います。

ちなみに、最近だとVRでも身体的動作を組み合わせることで動作が女性らしくなったり体が筋肉質になったりといったことがあるらしいです。面白いですね(笑)

ちょっと話がずれてしまったような気もしますが、つまりは伝えたい情報についてどのような身体的な動作を付加することが出来るのかを考えることでより自分事としてその問題を考えるきっかけになるのだと思います。

 

まとめ

ということで自分事として物事をとらえていくのには

・生活に危険が及ぶレベルの圧倒的危機感

身体的動作を組み込むことによる没入感

が大切だ、という話でした。

ちなみに、僕たちがCoSTEPで作った「エネルギー危機からの脱出」は

・大規模停電&密室に閉じ込めることで危機感を与える

・謎解きという手や体を動かす要素を入れる

と、深く意識していなくても自分事として考えてもらうための要素は入っていたんだなぁ、と新たな発見がありました(笑)

 

もっといろいろな問題への解決意識を持って人々が暮らしたら未来は明るいんだろうなぁ、

と思うこの頃

そのためには自分から問題に意識を向ける必要があって、その問題について自分事として考える機会が必要だよな、と考えていました。

今日はこんな感じで終わります!

また会いましょう~!(●´ω`●)ノ

ブログランキング参加中です♪励みになるのでお願いします!

ブログランキング・にほんブログ村へ