みなさんこんにちは!
つぼです(●´ω`●)ノ
今日は前回の続きで「世界一わかりやすい「論語」の授業」に書いてある「人から信頼される方法」についてまとめていきます
前回の記事はこちら
好かれる人と嫌われる人
思いやりの気持ち「仁」
人から好かれる人ってどのような人なのでしょうか?
まず相手を思いやる気持ちが大切です。
この思いやりの心を孔子は「仁」と呼んでいます。
みなさんも聞いたことあるのではないでしょうか?
思いやりの例として孔子はこのような話をあげています。
厩焚けたり、子、朝より退きて曰わく、人を傷(そこな)えりや。馬を問わず。
<郷党篇>
「高価な馬をつないでいた厩舎が火事で焼けたが、馬のことをひと言も聞かず、ケガ人が出なかったかどうかだけを心配した。」
自分の損失を気にせずにまず、相手の心配をするっていうことができるのが思いやりということですね。
これを実際に出来る人はいますか?
僕は自分にまだそこまで自信は持てません。何か起きた時に最初に友人の身を案じられるような思いやりある人になりたいですね。
また、心がおおらかな人も魅力的だと言っています。
おおらかな人というのは小さなことを気にしない器の大きな人のことですね。
「仲弓、子桑伯子を問う。子の曰わく、可なり、簡なり。仲弓が曰わく、敬に居て簡を行ない、以て其の民に臨まば、亦た可ならずや。簡に居て簡を行なう。乃ち大簡なること無からんや。子の曰わく、雍の言、然り。」 <雍也篇>
「おおらかというのは、良い気質のひとつだ。ただ、あまりおおらかすぎては、困ることも多いだろう」
では、逆にどのような人が嫌われるのでしょうか?
「君子も亦た悪(にく)むこと有や。子の曰く、悪むこと有り。人の悪を称する者を悪む。下に居て上を訕る者を悪む。勇にして礼なき者を悪む。果敢にして塞がる者を悪む。曰く、賜や亦た悪むこと有や。徼(かす)めて以て知と為す者を悪む。不遜にして以て勇と為す者を悪む。」 <陽貨篇>
「他人の悪いところばかり指摘する人、目上の人間をけなす人、勇ましいばかりで礼儀のない人、ものの道理がわからない人、他人の手柄を横取りする人、傲慢な人、人の隠しごとを暴き立てる人 そういう人は嫌われる」
以前話した「礼」や仁がない (前回の記事はこちら)
つまり相手を尊敬する気持ちや思いやりの気持ちがない人が嫌われるということです。
ここに書かれている嫌われる人については皆さんも共感できるのではないでしょうか?
そして、嫌われない人間にならないためには「反省すること」が大切です。
「吾れ日に三たび吾が身を省みる。人の為に謀りて、忠ならざるか、朋友と交わりて信ならざるか、習わざるを伝うるか。」 <学而篇>
「わたしは毎日何度も自分について反省している。人の立場に立って、まごころをもって行動できなかったのではないか?友人に対して誠実ではなかったのではないか?知ったかぶりで語ってしまったのではないか? と」
孔子のように毎日振り返るのは大変かもしれませんが、ふとした時に振り返ってみるだけでも人との付き合い方が変わってくるのではないか、と思います。
自分が少しずつ変わっていけば周りの態度も変わってくる!と思って僕も日々頑張っています(笑)
付き合うべき人と別れるべき人
好かれる人になる方法だけでなくどのような人と付き合うべきなのかについても孔子は教えてくれます。
付き合うべき人と付き合うことでより豊かな人生を送ることができ人生の宝物ともいえるような友人と出会えます。
「益者三友、損者三友。直きを友とし、諒(まこと)を友とし、多聞を友とするは、益なり。便辟(べんべき)を友とし、善柔を友とし、便侫(べんねい)を友とするは、損なり。 <季氏篇>
「自分にとってプラスになる友人が3種類いる。自分にとってマイナスになる友人も3種類いる。 正直な人、誠実な人、知識の深い人、こういう人を友人にするのはプラスだ。 外見ばかりを気にする者、表面的にへつらってくる者、口だけ達者な者、こういう人たちを友人にするのはマイナスでしかない」
やはり相手に対して誠実であり日々知識を得ているような人が友とするべき人のようですね。
「巧言令色、鮮(すく)なし仁。」 <学而篇>
「話のうまい人間や見た目の美しい人間ほど、思いやりの気持ちは少ないものだ」
一方、友とするべきでない人は表面だけ取り繕っているような人のようです。
みなさんも見た目がきれいな人って信用度が高い、と思っていませんか?実はそんなことはなく、人をだまそうとする人ほど見た目にこだわるようです。詐欺師が小綺麗な恰好をしていることは有名な話ですよね。見た目がきれいな人が全員そうであるわけではありませんが、小綺麗な恰好をして表面的な言葉で語りかけてくる人には気を付けた方が良いですね。
特に今はSNSなどで人と簡単につながれてしまう分、甘い言葉で語りかけてくる人にはより気を付けていきましょう!!
また他にも無鉄砲な人も付き合うべきでない人間として挙げています。
「暴虎馮河(ぼうこひょうか)して死して悔いなき者は、吾れ与にせざるなり。必ずや事に臨みて懼(おそ)れ、謀を好みて成さん者なり。」 <述而篇>
「虎と素手で戦おうとしたり、大河を歩いて渡ろうとするような命を軽んじる無鉄砲な人と、友人になりたくない。」
確かに、無鉄砲な人といると何かとトラブルに巻き込まれがちですよね。勇敢であることと無鉄砲であることは全く違うことなので、自分の力量を見誤らないようにしましょう。
人間関係の育み方
関係を育む”対話”
ではどのように素晴らしい相手との関係性を育んでいったらよいのでしょう?
そのために必要なのが対話です
「吾れ知ること有らんや、知ること無きなり。鄙夫(ひふ)あり、来たって我れに問う、空空如(こうこうじょ)たり。我れ其の両端を叩いて竭(つ)くす。」<子罕篇>
「わしは、けっしてもの知りなどではない。 だが、たとえどんな相手であっても、まじめな態度で質問してきたら、自分なりに一生懸命考えている」
どんな相手に対しても相手が真剣に話を投げかけてきたならば、自分もその話に誠実に本気で答えるということです。
ちなみに、実業家として有名な渋沢栄一さんも自分を訪ねてきた人はすべて会って話を聞いていたという話です。
CoSTEPでも実習の中でとても大切にしていたのが「対話」です。(実習は「対話の場の創造実習」でした。)はるか昔からこの対話は大切なのですね。
ここで大切なのは、相手の話に耳を傾けるのはもちろんのこと、自分の気持ちをしっかりと伝えるということです。これは僕がCoSTEPの修了式での出し物を企画した時に行わなかったことを後悔したと共に、重要性を再認識しました。
相手に嫌われるのではないかと思うと自分の言いたいことを言うのがはばかれることもあるかもしれません。しかし、自分の本心を伝えないといつまでたっても相手と自分の中は深まらず、後で必ず後悔します。
分かり合えないのは当たり前
対話において大切なのはその目的は相手を打ち負かすためではないということです。
これが討論と対話の大きな違いです。
対話をしていく中で自らと相手との間に共感する部分もあれば理解しあえない部分も出てくるでしょう。
そんな時孔子はこう言います。
「与に共に学ぶべし。未だ与に道に適(ゆ)くべからず。与に道に適くべし、未だ与に立つべからず。与に立つべし、未だ与に権(はか)るべからず。」
「いっしょに勉強できるような相手であっても、必ずしも道徳を共有できるとはかぎらない。道徳を共有できる相手であっても、必ずしもともにそれを守っていけるとはかぎらない。道徳をともに守っていける相手であっても、必ずしもいっしょに実行に移せるとはかぎらない」
価値観や考え方、生き方は異なるから相手を無理に合わせようとしたり、自分を相手に合わせようとしてはいけない、というか無理ということですね。
自分は自分
相手は相手
という分別を持って関わっていきましょう
思いやりの始め方
ここまで読んできて思いやりを持って相手に接することが大切
ということは分かったと思いますが、思いやりといってもパッとこない人も多いでしょう。
そこで、最後は最初に行うべき思いやりのある行動を紹介します。
それは家族を大切にすることです
孔子は
人間関係の基本は家族である
と言っています。
「有子が曰く、其の人と為りや、孝第(こうてい)にして上を犯すことを好む者は鮮なし。 上を犯すことは好まずして乱を作(な)すことを好む者は、未だこれ有らざるなり。 君子は本を務む。本立ちて道生ず。孝第なる者は其れ仁の本たるか。」 <学而篇>
「家族を大切にする性格のもち主は、人との関係を大切にして、ムダに争ったりはしないだろう。 立派な人は、根本的なことを大切にする。根本が定まってこそ、自分の進む道もはっきりするからだ。家族を大切にする気持ちこそが、良好な人間関係を築く根本である」
相手を思いやる気持ちはもとは家族とのかかわりの中で醸成されるものであるのですね。そのため、思いやりのある行動が何が分からないという人は親孝行を行ってみたらよいと思います。
親に電話をしてみたり…
ちょっとしたプレゼントをしたり…
いろいろ思いつくと思うので小さなことでいいのでやってみてはどうでしょう?
ということで「人に信頼される方法」はこれで終わります。
実際の本の中では今回お話しした内容をさらに深く分かりやすく話してくれているので興味がある人はぜひ読んでくださいね!
ではまた会いましょう~!(●´ω`●)ノ